はじめに
茶筅と言えば、お抹茶をかき混ぜるための主に竹で作ったほうきに似た道具
ということはよく知られています。
日本では全国シェア90%を占める、奈良の伝統工芸品である高山茶筌が有名です。
茶筅は用途によって穂の数が違ったり、茶道の流派によって糸の色や形状が違い、
バラエティに富んでいます。
この記事では、茶筅の起源について少し触れていきたいと思います。
茶筅という言葉が現れてくるのは中国宋代
茶筅は日本が発祥であると、私も最初はそう思っておりましたがその原型はお隣の中国にあるようです。
古くは中国唐代(8世頃)に著された茶の専門書『茶経』において餅茶(後の団茶、固形に加工されたお茶)を攪拌する道具として竹筴というものが登場し、茶筅の萌芽のようにも見えます。
時代は下り、茶筅が言葉として登場するのは宋代の皇帝徽宗が著したといわれる『大観茶論』において登場します。
この頃までは、茶をかき混ぜる道具としては箸や匙なども使われており、茶筅はあくまで多くある道具の選択しの一つでした。
この後14世紀ごろ明代に入ると、初代皇帝の洪武帝が団茶禁止令を出し、茶筅を使う団茶は廃れていきました。
しかしながら、栄西禅師が12世紀ごろに『喫茶養生記』を著し、しっかりと中国の団茶は伝わっており、日本でその命脈を保ち、わび茶の登場など独自の茶文化が生まれていました。
高山茶筌は室町中期頃に生まれた
日本の代表的な茶筅である高山茶筌が誕生したのは室町時代中期(15世紀ごろ)のことです。
現在の奈良県の高山領主の次男宗砌が、わび茶の創始者と言われる村田珠光の依頼で
作った茶筅が始まりです。
後土御門天皇に茶筅を献上した際に、「高穂」という銘をいただき、以後技術を一子相伝とし茶筅作りに励んだとのことです。
現代は一子相伝ということはないようですが、その技術レベルの高さには目をみはります。
高山「茶筌」が「茶筅」の漢字ではないのは、茶筌という文字に技術により竹の特質を全て活かした作品であるという矜持があるとのことです。
おわりに
元々は中国が起源のようですが、茶筅は日本独自の進化を遂げており、高山茶筌という伝統工芸品として結実しています。
私も久保左文作の高山茶筌を使用していますが、その使いやすさ、消耗品でありながら数十度使っても壊れることのない耐久性、素晴らしい工芸品であると思います。
もし、抹茶を点てる茶筅選びに悩むのなら、日本一の茶筅、高山茶筌がおすすめです。