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工芸品紹介

「赤膚焼(あかはだやき)」を簡単に解説してみました

はじめに

奈良県の伝統工芸品である赤膚焼、現在の奈良の五条山で採れる土を使って作り上げる赤味がかった乳白色の素地と伝統的な「奈良絵」の文様で知られています。

江戸時代初期の大名茶人、小堀遠州が自分好みの茶陶を焼かせた窯として遠州七窯といわれるものがあり、赤膚焼はその一つであると言われています。

日本の焼物では有名な物の一つであると思うのですが、瀬戸や美濃、信楽などと比べると知名度は若干劣っているように感じられます(実際に私の周りの人間はほとんど知らなかった)。

そこで、この記事では知名度の向上に微力でありますが力になれるよう、簡単に解説したいと思います。

薬師寺東塔基壇の土で作陶した赤膚焼

赤膚焼の誕生

赤膚焼の産地である奈良県の五条山一帯は、古くから焼き物に適した良質の土が採れるため赤膚焼が正式に誕生する前から焼物の産地であったようです。

名前の由来は鉄分を含んだ陶土を焼いた時の赤色の発色、赤膚山の名前からなど諸説あります。

赤膚焼の始まりは豊臣秀長が尾張常滑の陶工与九郎を招いて開窯した、野々村仁清が赤膚の地を訪れて指導したなど色々な説があるようですが、現代に直接続く系譜は、時の大和郡山藩主であった柳沢保光がスタートのようです。

天保6年(1786年)に大和郡山藩主の柳沢保光(堯山)が信楽や京都の陶工を呼び寄せ、保護を与えて作陶させました。

その陶工の中で京都の陶工丸屋治兵衛が、その能力を認められ、「井上」の姓と「赤膚山」の窯号と「アカハタ」の印を与えられ、そこからが今に続く正式に赤膚焼と呼ばれる焼物の始まりであると思われます。

現代でも井上治兵衛の系譜の窯は「赤膚山元窯古瀬堯三」として残っています。

赤膚の印、特徴が様々で大森貝塚で有名なモースも印のデザインを収集しています。

赤膚焼の特徴は特徴がないこと

赤膚焼の特徴は、鉄分を含んだ赤味がかった乳白色の素地と奈良絵というのが一般的なイメージです。

実際には採れた土の質や、焼き上げ方など様々な条件で色合いは変化する柔軟性をもっているとのことです。

赤膚焼の代表的な模様である奈良絵の絵付けは、赤膚焼中興の名工「奥田木白」が始まりと言われています。

奈良絵は奈良絵本という室町時代末期から江戸時代初期ごろまでにつくられた挿絵付きの写本です。

可愛らしい絵柄の奈良絵ですが、元々は仏教関係者が販売を始めたところからきているようです。

キュートな奈良絵ですが、由来は仏教関係とのこと

赤膚焼といえば奈良絵のイメージが強いですが、奈良絵の絵付けがないものも多くあり、奥田木白からして「諸国焼物写し所」として看板を出しており、多様な作風の赤膚焼がありました。

元々商人であり、その時の人脈からか色々な階層の人々と知り合いでそれが木白の赤膚焼の血肉となったのかもしれません

尾西楽斎さんのギャラリー
色々な作風の焼物が並んでいました

諸国の焼物を写した奥田木白の技量も凄いのですが、それができるだけのポテンシャルが奈良の土地、ひいては赤膚焼にあったということでもあります。

その優れた作陶の柔軟性のため、まさに特徴のないのが赤膚焼の特徴とも言えます。

呉須奈良絵のカップ&ソーサー、珍しい物です

終わりに

赤膚焼は現在では六つの窯元が残っています。

古瀬堯三、大塩昭山、大塩玉泉、大塩正人、小川二楽、尾西楽斎。

奈良絵の絵付けの赤膚焼以外にも様々な魅力的な赤膚焼を作られてます。

勿論、奈良絵の暖かみのある絵柄と陶器自体の土味も魅力。

赤膚焼はその柔軟性もあり、とてもおかし味のある焼物だと思います。

奈良を訪れた際にはぜひ一度赤膚焼の窯元を訪ねてみてください。

ちょっと変わった面白い赤膚焼との出会いがあるかもしれません。

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