青磁とは、概略
青磁とは主に、透明感のある青緑色の釉薬をかけて焼かれた磁器のことを指します。
陶土で制作されたものは青瓷と書き、区別されることがあります。
紀元前14世紀頃の中国殷王朝時代が発祥であるとされていて、古くから珍重されていました。
日本に現れたのは11世紀頃の平安時代で、茶の湯が発展するとともにその重要度も増していきました。
室町幕府八代将軍足利義政が所有していたと伝えられる「馬蝗絆」などの名器も現代に残っています。
日本の国産品は江戸時代から有田で作られ、広がっていき現代も続いています。
青磁がどのような焼物か、どういう歴史を辿ったのかをざっくりと紹介していきたいと思います。
青磁の特徴
青磁は青色の焼物のイメージですが、淡い青や緑色に近いものなどその色合いは様々です。
釉薬として用いられる青磁釉は、そこに含まれるわずかな鉄分が還元焼成(炉内の一酸化炭素濃度が高い状態での焼成)によって青色に発色するものです。
逆に酸化焼成(一酸化炭素の少ない状態での焼成)では黄褐色になります。
これが米色(べいしょく)青磁と呼ばれています。日本でも青磁を目指して平安時代に瀬戸で焼かれた「古瀬戸」という飴色の焼物があり、後に黄瀬戸という日本独自の焼物につながっていきます。
青磁の焼成に失敗したものが、後に黄瀬戸が作られる切っ掛けになったと言われているのは面白い縁だと思います。
青磁釉の青は釉薬の中を通る光の屈折により深みを増します。
元々は灰釉から発展したシンプルな調合の釉薬ですが、技術の発達により美しさが増し、高い技術が要求されるようになりました。
青磁の歴史とその歩み
紀元前14世紀頃に中国殷王朝の頃に、灰釉(薪の灰が釉薬となったもの)から原始青磁と呼ばれる焼物が作られ、珍重されました。
これが青磁の始まりであったと言われています。
また時代が下って唐代(618~907)ごろに陸羽の『茶経』に現れる越州窯の磁器について、その釉薬が玉や氷に例えられて称賛されており、この磁器は青磁であると考えられています。
唐代には秘色と言われるオリーブ色の青磁が焼かれており、青磁の最高級品とされていました。
中国の南宋時代(1127~1279)に龍泉窯で焼かれ日本に渡ってきた青磁は、後世に砧(きぬた)青磁・天龍寺青磁・七官青磁と呼ばれました。砧青磁は南宋代~元代、天龍寺青磁は元代~明代、七官青磁は明代と長く作られてきました。
室町幕府八代将軍足利義政が所有していたといわれる「馬蝗絆」という銘の茶碗が砧青磁の逸品として有名です。
日本で国産青磁が作られるのは17世紀以降のことで、有田で作られはじめ、鍋島や京都、瀬戸などに広がっていきました。
特に有名なものが江戸時代後期から今の兵庫県三田市のあたりで作られていた三田青磁です。中国青磁に遜色がない出来と言われ、『三田市史 下巻』によると長崎からきた中国青磁として大金で売られたというエピソードもあるとのことです。
中心人物であった神田惣兵衛と錦古堂亀佑の二人が亡くなると衰退していきました。
現代は伊東瑞宝氏が中心になって三田青磁の復興に取り組んでいます。
おわりに
青磁の歴史は古く、紀元前14世紀頃から始まりました。
中国で発展した青磁は、高麗や日本へ広がり現代に残っています。
最近では、神農巌氏のオリジナルの堆磁技法を使った青磁などが有名です。
青磁の評価は高く、2024年にサザビーズ香港で「宋代汝窯青磁筆洗」という逸品が日本円で約42億4800万円で落札されました。その美術品としての評価の高さがうかがえます
青磁は歴史が古く完成度の高い磁器ですが、これからも創作や発展が続いてくれるといいですね