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文房四宝の成り立ちをざっくりと解説していきます

1、文房四宝とは

日本人になじみ深い、鉛筆や消しゴム、ボールペンなどの文房具。

文房具の「文房」は読書や執筆などを行う書斎のことを指し、そこで使われる道具が文房具と呼ばれ、昔は主に、筆・硯・紙・墨の4つのことを指していました。

その書斎で使う定番のものということで、中国では「筆墨紙硯」のことを文房四宝と呼んでいました。

これらの文房四宝は何時頃に誕生したのでしょうか。

それぞれの成り立ちを見ていきましょう。

2、文房四宝の成り立ち

・筆

筆は古く殷代(紀元前17世紀頃誕生した中国の王朝)には使われていたようですが、当時使われていた筆自体は現存していません。

そして、中国・秦(紀元前226年~206年)の武将蒙恬が兎の毛と竹軸で作った筆を始皇帝に献上したのが今の筆の原型と言われています。

日本では中国から輸入されてきた筆を使用していましたが、弘法大師空海が6世紀頃に中国の筆づくりの技術を持ち帰り、坂名井清川(さかないのきよかわ)に伝えられました。

坂名井清川が大和国(現在の奈良県)で筆を作り始めたのが、国産の筆づくりの始まりとされています。

現在の日本の工芸品では奈良県の奈良筆や広島の熊野筆などが有名です。

・紙

紀元前2世紀頃に中国で発明されたと考えられています。当時の紙は、書写としての用途ではなく、包み紙として使われていたと考えられています。

西暦105年に頃の後漢時代に蔡倫という役人が製紙法を改良して、使いやすい実用的な紙を作りました。

西暦610年頃に曇徴という高句麗の僧侶が製紙に優れたという記述が日本書紀にあり、製紙法が伝えられたのは、同時期ないしそれ以前と考えられています。

日本では仏教も隆盛してきており、経文の書写などの用途で紙の需要が高まっていました。

現在日本では岐阜の美濃和紙や福井の越前和紙などが有名です。

・墨

墨の歴史も古く、紀元前の殷代後期(前1300年~前1046年)には既にあったようです。

日本の文献で現れるのは推古天皇の610年頃、曇徴という高句麗の僧侶に関する記述が最初です。

その後の大宝律令(700年頃編纂)にも造墨手という墨作りの専門職の記述があり、この頃には既に日本産の製墨が始まったと思われます。

現在の日本では固形墨の奈良墨がシェア90%以上を占めています。

・硯

硯は、中国では殷代には製造されていたと考えられていますが、確かなことはわかりません。

日本では弥生時代に作られたとされる板状の硯が、福岡県で出土しており、その頃には日本にあったと考えられています。

硯は元々は陶製のもので、現在の主流である石製に変わるのは中国の唐代に入ってからです。

日本でも少し遅れて平安時代中頃には、石硯が日本で作られるようになったようです。

現在の日本では宮城県の雄勝硯が有名で日本のシェアの7割を占めています。

3、文房四宝のこれから

これらの文房四宝は現在ではあまり使われなくなっています。

この四つが同時に使われるのは現代では書道ぐらいでしょうか。

普段使いとしては特に鉛筆やボールペンなどが普及したことで、筆や墨、硯などの道具は需要が減っていきました。

紙も昔ながらの高品質の和紙から安価で大量生産可能な洋紙に転換が進み、需要が減っています。

更にパソコンやスマホなどの登場で文字を書くという機会そのものが少なくなってきています。

そして、書道人口も2010年から2020年までの10年で半数以下になっており、書道人口の高齢化や書道文化の衰退が懸念されています。

しかし、恐らく書道は道具の作り手が残っている限りは無くなることはないでしょう。

日常生活からは縁遠くなっていますが、海外でも書道大会が行われるなど、その芸術性や精神性は高く評価されています。

海外からの影響や若年層の新たな趣味として、書道人口の広がりがあれば文房四宝というものが再び脚光を浴びる日も来るかもしれません。

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