工芸品とは
工芸品は一般的には日常生活において使用される道具類のうち、その材料・技巧・意匠によって美的効果を備えた物品を指します。
代表的なもので、陶磁器、漆器、彫刻、木工、染色、織物などがあります。
現代の工芸品は、伝統的な技術を使われた伝統工芸品をさすことが多いです。
美術品と工芸美術と民藝
明治時代に「美術」と言う言葉は、「クンストゲベルべ」というドイツ語を訳したものとして誕生しました。
元々この語は工芸なども含む大きな意味でしたが、美術と訳されたため、極めて狭い範囲での意味付けになってしまいました。
その後、美術は海外の基準や国による基準で評価が決められ、一種の制度化がされていきました。
さらに、美術品とそれ以外の雑多な物とされた工芸品から、鑑賞を目的の強まった工芸品ということで工芸美術が生まれました。
1925年に名もなき民が作った、美術品とは呼べない雑器の中にもそれらに負けない美があり、その美を見出していこうという民藝運動が本格的にスタートしました。
その民藝運動で有名な柳宗悦はこの制度化された工芸美術を痛烈に批判しています。
無銘の雑器に美を見出すなど、個人によらない美もあるのだというその視点は、美術や工芸美術に対してのカウンターカルチャー的な視点も民藝は持っています。
これらの美術品や工芸美術、民藝品などが混在して、今の工芸品の業界はできています。
工芸品の在り方について
工芸品には分野がいくつかありますが、美術品>美術工芸品>工芸品というようにヒエラルキーがあるという考え方があったり、柳宗悦が言う民藝のように、無銘で量産された雑器にも美術品や美術工芸品に負けない美しさがあるという考え方もあります。
私の考えは、柳宗悦の民藝に近く、工芸品と言う分野においては美術品>美術工芸品>工芸品のようなヒエラルキーはないと思っています。
柳宗悦の言うところの工藝的なものは、例えばバス車掌が停留所に到着する前の「次は○○~」という独特な調子で使う言葉も工藝的なものであると言っています。
普通に声を発するのではなく、独特の調子で声を発するこの仕事は、一つの型であり、時間を経てバスのアナウンスに独特のリズムができあがり定着したというものです。
職人の道具の使い方、料理のための包丁の使い方や、民謡の調子など、つまり人々の日々の営みも工藝的なものと言えるのです。
その歴史を含有し、ある種独特のものとなる、そこに美を見出しうるということです。
目に見えないものもとらえる工藝的なものは、工芸品という物よりも広い分野のこと
を指しています。
工芸品の価値と未来について
これから残っていく工藝的なものや工芸品は、人の幸せに資するものであると思います。
工芸品はより便利なものが出現すると、その役割が薄くなります。
それでも別の役割を果たすようになるなど、その物は残り、また新しく「用と美」が生まれてきます。
ただ、工藝的なものや工芸品は、そこに作られてきた歴史が含まれているので失えば、再生は容易ではありません。
工芸品の価値の大きさは、どれほど人の幸せに資するかで決まるのではないでしょうか。
単純に効率性を追い求めるだけでは工芸品の価値は低下し、必要がなくなるでしょう。
それでも別の役割を見つけたり、美的な価値を持っていたり、と工芸日のその価値は様々あります。
工芸品は「用と美」を兼ね備えており、その価値は多面的で、それも工芸品の大きな魅力です。
価値観の多様化などによって、幸せの基準があいまいな現代においてこそ、より幸せに資する多様な価値を持つ工芸品や工藝的なものは必要とされていると思います。