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日本で闘争に用いられた工芸品の代表的な3つをざっくりと紹介

はじめに

 日本の工芸品の出自は多岐にわたりますが、実際に武器として使われていたものもあります。

現在ではその武器としての用途では使われなくなった工芸品、日本刀、槍、弓の戦国時代の有名どころ3つをざっくりと紹介したいと思います。

出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp) 太刀 銘 長光(大般若長光)

日本刀

日本における代表的な美術工芸品として日本刀があります。

元々は直剣で現代に知られる湾曲した形の日本刀ができたのは平安末期から鎌倉時代の初期の頃と言われています。

武士のシンボルとしても有名な日本刀ですが、実際の戦ではメインの武器ではなかったようです。

日本刀は近接武器で、最も効果を発揮するのは相手に近づいてからです。

そのため槍や弓などの中・遠距離武器を相手にする場合はどうしても不利になります。

戦国時代に主に使われていたのは槍と弓、かの今川義元が「海道一の弓取り」と呼ばれたように弓の扱いに長けていることがイコールで武士を指しました。

イメージとして弓を最もよく使っていたからそう呼ばれていたと考えられます。

例外的に、日本刀は近接や室内での取り回しのしやすさや携帯性から幕末期の新選組などではよく使われました。

日本刀は消耗品としてではなく、鑑賞用や武士のステータスシンボルとしての側面も多く持っていました。

ここに現代の美術工芸品としての日本刀の萌芽が見られます。

出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp) 大笹穂槍(蜻蛉切写)

槍は日本刀よりもよく使われていましたが、美術工芸品としては日本刀よりも有名ではありません。

古くは弥生時代には槍の原型はあったようですが、実際に戦場で活躍するようになったのは戦国時代頃です。

戦闘の形が騎馬戦から徒歩に移行したことで、薙刀に代わって使われるようになりました。

戦場では日本刀や弓よりも扱いやすく、あまり訓練のできていない兵士でもすぐに使えるようになる槍は実用的な戦の道具として重宝されました。

天下三名槍が有名で、日本号、御手杵、蜻蛉切などがあります。

日本刀ほどではないですが、このように名前がつけられたり、銘のある槍もあり、文化遺産として今日にも残っています。

しかし、槍は現代では実用品としてはほぼ使われていません。

これは槍には、日本刀は美術品として、弓は競技用としてなどの主だった用途がないからと思われます。

槍にも現代にあった新しい用途が見つかれば、再び脚光があたる日がくるかもしれません。

出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp) 試鵠 曾山幸彦筆

弓が日本で見られるようになったのは縄文時代からで、その当時は木の枝をそのまま使い、先端に弦をかけたものです

漆を塗ったり、樺の皮を巻き付けて耐久力を上げたりするなどの工夫はありましたが、シンプルなものです。

それから時代が下っていくと、外側に竹を張り合わせるなどの工夫が施され、威力・飛距離・耐久性が向上していきます。

江戸時代に作られた弓胎弓(ひごゆみ)の最大射程は400メートルとも言われています。

離れたところから攻撃できる弓は戦国時代には槍や刀よりも使い勝手がよく、強力なものでした。

きわめて実用的であったからか、兵卒の自作が基本であったからか、槍や刀と比べて弓矢は当時の物が残っていることは少ないです。

現在作られている和弓は宮崎県の伝統工芸品、都城大弓がトップシェアで有名です。

おわりに

上記の3つの工芸品は、日本では誰もが知っているほどに有名なものですが、武器としての役割から鑑賞、儀式、競技用など用途が変わり、工芸品とみなされるものとなっています。

武器も人が作り、その歴史を経て形や作り方が定まってきた工芸品です。

人を傷つける武器としてより、かつて武器であったという歴史を持つという工芸品としてこれから続いていってほしいものです。

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