はじめに
日本の工芸品には色々なタイプがあります。
陶磁器、木工、金工、染物・織物など様々で、分野ごとに種類も豊富です。
似ているものもありますが、やはり地域の工芸品ということで、その成り立ちは一つ一つ違います。
そのストーリーも工芸品の持つ魅力であり、大きな特徴です。
そんな工芸品の成り立ちのお話をいくつかご紹介します。
有松・鳴海絞り
有松・鳴海絞りは愛知県名古屋市で作られている絞り染めです。
100種類以上の豊富な技法で、様々な模様を表現するのが特徴です。
有松・鳴海絞りは江戸時代はじめに竹田庄九郎らの手によって完成しました。
名古屋城築城の際、加藤清正らに連れられてやってきていた九州の人々がいました。
彼らの中にしぼり染めを着た人がおり、それを参考にして作られたのが有松・鳴海絞りと言われています。
当時は、徳川と豊臣は緊張状態にあり、名古屋城は豊臣方の武将の経済力を削ぐ目的もあったとされています。
そのような政治的な駆け引きの裏側で、現在に続く伝統工芸品有松・鳴海絞りは誕生していました。
お上の都合から予想していない産物が生まれてきているのが面白いですね。
こぎん刺し
青森県津軽地方の伝統的な刺し子です。
藍染の生地に白い糸を刺して模様を作り、モドコと言われる基礎模様は多種多様で300種類以上あったとされます。
江戸時代に津軽では奢侈禁止令が出されており、麻の衣服のみ身に着けることが許されていました。
麻は木綿と比べて通気性が良いため、北国の寒さをしのぐのは大変だったと思われます。
そんな中で誕生したのがこぎん刺しです。
麻布に衣服に使えない木綿糸の刺しゅうを施し、少しでも保温性を上げようとしたものです。
庶民にとって特に厳しい奢侈禁止令、なんとも窮屈な世の中であったと思いますが、またそれに対抗する形であらわれたこぎん刺し、雪国の人々のたくましさがあらわれています。
砥部焼
愛媛県伊予郡砥部町で焼かれる磁器で、やや厚手でぽってりとしたフォルムで、伝統的な白磁に染付が施されているものが有名です。
日常雑器のくらわんか茶碗の焼物としても知られています。
元々この地方では焼物が作られていましたが、磁器が焼かれるようになったのは18世紀後半。
当時の大洲藩主・加藤泰侯が磁器の生産を命じたのが始まりです。
この地方では、江戸時代に伊予砥といわれる砥石が生産が盛んに行われていました。
その製造過程ででてくる砥石クズの処理には労力がかかるのが悩みの種でした。
そのような時に、天草の砥石が磁器の原料になると知った加藤泰侯は、砥石クズの有効利用と、窮乏していた藩財政のために殖産興業として磁器生産を行うという、一挙両得の解決策を実行しました。
砥部焼は砥石クズと経済的な問題を解決するものとして生まれ、その役割から離れて現在でも作り続けられています。
創意と工夫から生まれた工芸品であり、その誕生の物語はユニークで面白いです。
おわりに
工芸品誕生のきっかけは色々とありますが、一つ一つ面白いと思います。
土地や時代によって環境が違い、そこに人の思惑も絡まってきています。
似たストーリーもありますが、背景を見るとシンプルに見えるものも、誕生には様々な要因が絡まっていてとても複雑です。
その複雑な背景の中で、当時の人々の創意と工夫から工芸品が生まれ、時代が変わって役割が変わっても現代に引き継がれてきています。
歴史が地層のように積み重なって工芸品に唯一無二の特性を与えており、これからもその厚みを増していくことでしょう。