はじめに
日本の食卓になじみ深いお茶碗。
どこから来たのかや、なぜご飯茶碗を茶碗と言うのかなどと不思議なことはそれなりにあるのですが、当たり前に日常にあるものなのであまり疑問に感じたことはないのではないでしょうか。
少し気になったので、その足跡を調べてみました。
大陸から渡来した茶碗
日本で茶碗があらわれたのは、奈良・平安時代頃のことで当時の中国からの輸入品であったようです。
主に磁器の茶碗で青磁などが有名です。
当時中国にあった喫茶文化も同時に輸入され、日本でもお茶を飲みはじめました。
この頃の中国の王朝である唐の陸羽が書いた茶の知識を網羅した「茶経」には、茶を飲むための道具としての茶碗の紹介もあります。
お茶はこの当時高級品であり僧侶や貴族などの社会的な地位の高い人々の間で楽しまれていました。
当然ながら一般庶民に手の届くようなものではなく、また磁器の焼成が日本で行われたのは江戸時代初め頃なので、一般化することはありませんでした。
日本では日用雑器として山茶碗と呼ばれる釉薬をかけない陶器が焼かれていましたが、これは喫茶用としては使われてはいなかったと考えられます。
茶道の流行と茶碗の国産化の進展
鎌倉時代に臨済宗の栄西禅師が、鎌倉幕府三代将軍の源実朝に献上したといわれる「喫茶養生記」が書かれました。
また、栄西禅師によりもたらされた茶の実が植えられ、茶の生産が日本で本格的にスタートしました。
時代が下るにつれ喫茶文化が武士にも広がり、村田珠光や千利休などが茶道という新しい日本独自の文化を作り出し、喫茶文化は独特の発展をします。
当時日本で流行していた茶碗は主に朝鮮の井戸茶碗などの唐物でしたが、侘びた景色やいびつな形などが評価される、日本独自の価値観も生まれていました。
桃山時代から江戸時代にかけて、美濃焼や織部焼などの国産陶器や、有田焼や九谷焼などの国産磁器が生まれ、これらの陶磁器の生産ラッシュには、茶道を重視した戦国大名などの有力者による庇護を受けた影響が大きく、それによって日本の陶磁器の生産技術が飛躍的に向上しました。
大衆化とご飯茶碗
江戸時代中期から末頃に磁器の大量生産が可能となり、一般庶民にも安価になった磁器の食器が普及していきました。
この頃から徐々に茶碗がご飯茶碗として使われるようになりました。
元々がお茶用の茶碗とし使われていたものが、庶民に普及しそれが飯碗として使われたのがご飯茶碗という名前のルーツと考えられます。
一般のご飯用の食器は、主に木製の椀で、急に陶磁器製のご飯茶碗に変わったということではなく、少しずつ陶磁器製に変化していったようです。
木椀が陶磁器製の碗に変化した理由は、木椀は陶磁器より寿命が短く、また上絵などがつけられる陶磁器よりデザインの幅が狭かったことなどが考えられます。
おわりに
現在当たり前に使っている茶碗ですが、中々に複雑な歴史をたどってきています。
お茶を飲むものは湯呑やコップが主で、茶碗は飯碗が今では呼称として一般的です。
元は同じ用途のものでも、今はメインの役割が違うのは面白いところだと思います。
茶碗は日本でユニークな歴史を経て、現在のポジションを確立しました。
ずっと後の時代には、また違う使われ方をしているかも知れませんね。