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「伊賀焼とは」をざっくりと紹介

概要

伊賀焼は、忍者の里で有名な三重県伊賀市で焼かれている陶器で、400万年ほど前に形成された古琵琶湖層と呼ばれる地層から採れる土を用いて作られます。

伊賀の七度焼と呼ばれるほど耐火度に優れた土で、その焼きの過程でガラス質のビードロ釉が形成され、それが自然な味わいとなり、日本で茶の湯の流行った17世紀頃に古伊賀と言われる茶陶が誕生しました。

県境で生産される滋賀県の信楽焼とよく似ており、古伊賀は一般に区別する時は水指が耳付きかどうかで区別すると言われています。

同じ古琵琶湖層の土を使っており、実際にはそこまで明確に区別できるわけではないようです。

伊賀焼の歴史

中世の時代に伊賀市の槙山に近い五位ノ木窯跡などで、豊富な陶土と赤松を使い焼かれていました。

茶の湯が盛んになった17世紀初め頃に、伊賀の国の領主筒井貞次や藤堂高虎、高次の時代に古田織部などの指導によって茶陶として焼かれるようになりました。

この時代の伊賀焼は古伊賀と呼ばれ、ヘラ工具を使用した波状の文様や格子型の押し型文、ゆがみ、緑色のビードロ、灰かぶりや焦げ、鉄釉を垂らすなど作為的な破調を含め、様々な工夫がなされています。

一時衰退するも18世紀に復活し日常雑器を中心に焼かれるようになり再興伊賀として現代の伊賀焼の基盤を固めた。

現在は有名な長谷園の土鍋などの日用食器を中心としているが、茶陶も焼かれており、様々な伊賀焼が生み出されている。

伊賀焼の特徴

胎土は古琵琶湖層から採れる耐火性の強い土を使い、基本的には信楽焼と同じ。

古伊賀の水指や花入れにはヘラ工具を使用した「山道手」という波状の文様、格子状の押し型文様があります。

意図的に形を歪ませた破調の美も特徴です。

また当時の伊賀と信楽の見分け方としても有名な「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」という言葉にあるように左右一対の耳と言われる装飾がある。

耐火度の強い粘土を使うことで「伊賀の七度焼」と言われる程に高温、長時間の焼成が可能で、降りかかった灰が緑色のビードロに変化し、焦げや山割れが生じます。

自然の窯変の結果ではなく、それを意図して焼成されています。

忠央窯苔肌ぐい呑み

終わりに

伊賀焼は侘びた風情が印象的です。

現代の伊賀焼も茶の湯全盛時に藩の庇護や古田織部の指導も入り、当時の茶の湯と破調の美を色濃く残しています。

また赤い伊賀焼や黄色の伊賀焼などもあり、試行錯誤と工夫が重ねられていますが、伝統を基盤とすることも忘れられてはいません。

今の伊賀焼を鑑賞しつつ、昔を思うのも面白そうです。

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