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不屈の福島県の伝統工芸品、会津本郷焼の歴史をざっくりと紹介してみました

1,会津本郷焼とは

会津本郷焼は福島県会津地方で焼かれている伝統的な焼物です。歴史は古く戦国時代に蒲生氏郷の要請で鶴ヶ城の瓦を焼くところから陶磁器産業が始まったと言われています。

陶器・磁器が併存しており、そのスタイルは多様で使う人間を楽しませてくれます。

その実用性や素朴さから民藝運動で有名な柳宗悦に紹介され、宗像窯のにしん鉢が昭和33年のベルギーのブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞し、一般的にもその名前が広がっていきました。

400年以上続いている産業であるだけに、様々な困難がありましたが、今も十三の窯が営々と陶磁産業を続けています。

2,会津本郷焼の歴史

会津本郷焼は戦国時代に蒲生氏郷からの要請により、鶴ヶ城の瓦を焼くところから始まったと言われています。

全国でも珍しい陶器と磁器を作る産地です。

・会津本郷焼のスタートは江戸時代から

正保四年(1647年)陶祖水野源左衛門が陶器の焼成を藩の庇護を受けながら本格的に始めました。没後に弟の長兵衛が寒気に強い赤瓦を制作し、御用瓦のリーダーとなっており、この時期は主に瓦を焼いていたようです。御留窯となり、代々瀬戸右衛門と名乗るようになります。

寛文十年(1670年)に本郷村には瓦作家(かわらづくりや)が11軒あり、後に瀬戸家と呼ばれるようになりました。

『新編会津国風土記』によると瓦以外も本郷焼として民間に便利がられていましたが、あくまで瓦屋との兼業であり陶業としての出来は良くなかったようです。

会津本郷焼において磁器の焼成が成功したのは1800年頃で磁祖佐藤伊兵衛の手によります。

安政年間(1854~1860)にかけて御城石などの磁器土が発見され、品質が向上しました。

しかし、幕末の戊辰戦争によって陶磁器産業は壊滅的な打撃を受けます。

・明治期以降の復興と発展の歴史

明治に入り、福良焼を会津焼と称したり、会津焼を京・伊万里焼として販売するなどということがあったため評判が悪くなりましたが、第三回内国勧業博覧会で受賞者を6名出しその評判を払拭することに成功しました。

明治二十四年(1891年)牡丹急須と五合茶漉の急須がアメリカから数十万個の注文があり、国内向けが品切れをするというようなことがあるくらい隆盛し、全盛期を迎えます。

しかし、大正五年(1916年)の本郷大火でまたも陶磁器産業に壊滅的な打撃を受け、陶磁器産業は再び衰退してしまいます。

衰退していた会津本郷焼が再び脚光を浴びるのは、昭和33年のベルギーのブリュッセル万国博覧会において、宗像窯の6代目宗像豊意のにしん鉢がグランプリを受賞した時でした。

以降会津本郷焼は、柳宗悦により民藝品として紹介されるなどして東北地方の代表的な焼物の一つとして定着しました。

おわりに

日本の陶磁器産地として珍しく陶器と磁器が共存しており、その歴史も独特です。

現代までに多くの困難に遭遇しながらも、断絶することなく続いてきたその産地としての力強さは瞠目に値します。

瓦造りから始まり、地域に営々としてしっかり根ざした陶磁器産業であるからこそ時代の荒波を超えて、ここまで生き残ってこれたのではないでしょうか。歴史のある工芸品の強さが表れているようです。

これからも会津本郷焼は不屈に力強く続いていってくれることでしょう。東北地方のひいては日本の代表的な焼物の一つとして。

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