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浮世絵の歴史とその変遷について

「名所江戸百景 日本橋雪晴」 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

はじめに

東京の伝統工芸品「江戸木版画」。

この名前だけでは若干イメージしづらいのですが、つまりは浮世絵のことです。

多色摺りの木版画である浮世絵を指します。

浮世絵は大量に摺られ、当時のそば一杯の値段(ざっと今の400円程)で売られており、安価で江戸の町におおいに普及している大衆娯楽でした。

現代は伝統工芸品として美術的な意味合いが強くなっています。

その浮世絵がどのような変遷の歴史をたどり今に至ったのかをまとめてみました。

浮世絵の始まり

「名所江戸百景 千駄木団子坂花屋敷」 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

浮世絵というジャンルが本格的にスタートしたのは、明暦3年(1657年)の江戸の大火以降。

江戸の人々は大火事により江戸の町の大部分は燃えてしまい、町を作り直すことを余儀なくされました。

その過程で江戸の文化として大衆化が進んでいったのが浮世絵でした。

「浮世」は元々「憂世」のことであり、つらい世の中といったネガティブな意味がありました。

つらい世の中だからこそ、逆に今を楽しむという意味に、当時の江戸の人々の粋や不屈さを感じます。

一枚絵としての浮世絵は、「見返り美人図」で有名な菱川師宣が本の挿絵を独立させて一枚絵の版画にしたのが始まりです。

最初は墨一色でしたが、徐々に色が増えていきました。

浮世絵は版元(蔦屋重三郎が名版元として知られています)が企画し、絵師が企画を受け、彫師が彫り、摺師が色を摺り込むという分業制で、役者絵、美人画、風景画・名所絵など多岐にわたり作られました。

また、組織的に制作されることにより大量生産も可能となり、江戸で爆発的に流行しました。

浮世絵の変遷

歌川国芳「相馬の古内裏」出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

江戸時代初期に本格的にスタートした浮世絵は、中期になるとついに現代の一般的なイメージとして知られる多色摺りの錦絵となります。

この多色摺りは、二人の旗本が大小暦というカレンダーを交換し、その出来を競い合ったのがきっかけであるとされています。

お互いにより美しい大小暦を職人に求め、技術革新が起こりました。

錦絵の創始者は美人画で有名な鈴木春信と言われています。

このイノベーションが後の喜多川歌麿や葛飾北斎などにつながっていきます。

この後も、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重などの浮世絵のビッグネームがあらわれました。

江戸幕府からの禁令による規制を受けつつも浮世絵は隆盛します。

海外にも浮世絵は渡り、フランスの銅板画家フェリックス・ブラックモンが北斎漫画が陶磁器の緩衝材として使われていたのを発見し、それに衝撃を受けたという逸話もあります。

しかし明治時代に入ると、新聞や写真などの西洋文化の流入により、浮世絵は衰退していきます。

浮世絵は広告や観光ガイドなどジャンルが多岐にわたり、それだけ西洋文化の流入により受ける影響も大きかったと思われます。

この浮世絵の衰退を受けてあらわれたのが「新版画」と「創作版画」です。

新版画と創作版画

石井柏亭「鐘馗」出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

創作版画は、元々大量生産を前提にしていた浮世絵と違い、「自画、自刻、自摺」の一人によって作られる版画の形式です。

明治末期頃から始まり石井柏亭、森田恒友、山本鼎の三人が1907年に雑誌「方寸」を創刊し創作版画の認知を拡げるなど、ムーブメントとなりました。

複製が主であった当時の浮世絵とは違い、オリジナリティーが重視され、大量生産には向かない日用的な要素より美術的な要素が強くなりました。

棟方志功などの作家が、戦後に高く評価され版画の美術的な地位を上げました。

川瀬巴水 「小千谷旭橋」 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

これに対して新版画は、伝統的な分業体制で制作される木版画であり、芸術色の濃い創作版画とは違い、大衆向けの浮世絵により近い性質を持っています。

渡邊庄三郎がイタリアの画家フリッツ・カペラリと組んで制作した木版画が新版画の始まりです。

川瀬巴水や伊東深水などを見出し、新版画もまた木版画復興のムーブメントとなりました。

渡邊庄三郎は関東大震災によって版木や版画、貴重な古資料も失いましたが、再建を果たし、新版画は主に国外によく売れましたが、渡邊庄三郎の死後は衰退していきます。

海外での評価は高く、後にアップル社の伝説的なCEOスティーブジョブズなども新版画を多数コレクションしています。

浮世絵のポテンシャル

川瀬巴水 「増上寺」 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

浮世絵は江戸時代初期に始まり、江戸の人々の娯楽として流行しました。

明治に衰退しても、木版画の復興ムーブメントが起こり、その流れは創作版画・新版画に受け継がれていきます。

また浮世絵も伝統工芸品江戸木版画として残っています。

これらの木版画は日本人だけでなく、海外の人々をも魅了し、ゴッホやモネにも影響を与えました。

葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」も2023年にニューヨークのクリスティーズのオークションで3億6千万円ほどで落札されたのは有名です。

このように多くの人に影響を与えてきた浮世絵にはまだまだポテンシャルがあるように感じます。

これからまた、創作版画や新版画というような新しいムーブメントが生まれてくるのなら、また流行起こりうるのではないでしょうか。

浮世絵や創作版画・新版画は変化の激しい時代にその時々の文化を取り込んで、作られていきました。

変化の激しい現代において、その文化を取り込んだ新たなモチーフの浮世絵、あるいはその流れを汲む新しい木版画が誕生し、今の人々の心に響く作品があらわれるかもしれません。

そのポテンシャルが十分にあるのは、この浮世絵の歴史を見ても明らかではないでしょうか。

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